ひび割れ女子高生

女子校で凝固し粉砕され霧散しかけています

労働

労働をした。やったことは、姿勢良く立って陽の光を浴び、車が通る時と、人に質問をされた時に声を出す、ただそれだけ。私の持ち場は、周りより少し高くなったところにある、大きな案内地図の横。そのせいで、ただ立っているだけなのに、私の眼下に人が集まった。恐らく皆は地図を見ているのだろうけれど、私の目には、皆が私の方を見ているように映った。超現実的な絵だった。それを眺めていたら、8分に1回くらいの頻度で、集まった人たちの中から、「これはどこですか」という種の質問が飛んだ。私が答えると、相手は私が教えたとおりの方向へ歩いていった。他人のこれからの行動を、私の言葉がコントロールしている。これも超現実的だった。2,3歩後ろに下がったら、視界の端に絵の額縁が見えてくるような気がした。

労働中、何度かコミュニケーション事故がおこった。私に対してされる質問は、どれもこれも、ちゃんと注意して聞きさえすれば自動的に答えが出るものばかり。でも残念ながら、私には、他人の発言を注意して聞く能力がまるでない。そのせいで、起きてから家を出るまでに数時間はかけていそうな格好の奥様とその娘さんは、 同じところを数回往復し、同じ質問を数回して、用が済んだ頃にはもうすっかり溶けてしまっていた。

沢山の人の相手をしていると、だんだんと、人が人のように見えなくなってきた。心理学の実験で、「他人に与える資源を調整して他人を統制できる立場にある人間ほど、他人に配慮した行動を取らなくなる」みたいなことを示したものがあった、と思い出した。この実験の被験者と労働中の私とではちょっと状況が違うけれど。

目の前で起こった現象に対して予め決められた反応を返す作業を続けていると、頭がヒマになってきて、考えごとをしたくなる。だけど、脳の半分くらいは労働に食べられてしまっているから、うまく考えられない。それでも頑張って考えごとに集中しようとすると、今度は自分が労働をしていることを忘れてしまって、自分が反応するべき現象が起こった時にうまく反応できない。もしかすると私は、こういう混乱に苦しめられた挙句に、やがては組織の歯車たるシャカイジンへと変化させられていくのかもしれない、そんなことを思った。

夜ごはん

学校はもう夏季休業に入ってしまったし、部活も休み。今日やったことといえば、自分の体重が減りすぎていないか確認したことと、自分の汗を布団に染み込ませたことくらい。

こういう日は、無性に素麺が食べたくなる。素麺は、私に、時計の短針と秒針を同時に想起させる。何の予定もない夏の1日、スケジュールを大きく埋め尽くす空白の中で小さく鳴る風鈴。広い空を背景にして、この世の隅っこで眺めた線香花火。素麺からは、これらのコントラストが所持する対立に類似した構造を見出すことができる。箸で掴んだ時の重量、曲線は、柔らかな包容力を思わせる。膨張色の白でドンと構えている。しかし、だからといって彼女の胸に突進をかましてはいけない。だって彼女は、私の口内という秘密の場所では、今にも折れてしまいそうな、感じ易くて込み入ったその内面を、私の歯に、舌に、教えてくれる。やっぱり今日は素麺が食べたい。

夕方、買い物にいく前の母にこの話をしたのだけれど、夕飯はポークソテーだった。夏バテ防止の為らしい。なんてガサツな発想。だけど、せっかく考えた色々が汗と土の臭いで台無しになってしまうのも、それはそれで夏っぽい。

滑らかさ

ブログを始めようと思った。だけど、私にはまだ、語ることができる言葉がない。それがブログであることを示すための文章というものを、私はまだ知らない。だからうまく書けない。

個人的な日記ならば、書き始めて6年くらいになる。それは、「毎日文章を書けば、少しは、堅物の私にも他人との意思疎通の能力が湧くんじゃないだろうか」なんていう淡い期待とともに書き始めたものだったけれど、結果は真逆だった。何故ならば、そこで使用する言葉が公のものではなかったからだ。私は元々、他人と会話をする時間よりも、ひとりで頭の中で言葉を回転させる時間の方が遥かに長くて、それ故に、言葉の使用法が周囲とズレてしまっていた。もし、私が他人と頻繁に相互作用を行う人間であれば、例えば、私が無意識に用いた個性的に過ぎる表現に対しては何かしらのそうと判別できるようなリアクションが得られただろうし、自分と似た状況にある他人がその状況に当て嵌めた表現を盗むことだってできただろう。そういった経験を積んで、ズレを適度に修正して角を落としていれば、今頃、他人との滑らかな接合を形成できるだけの能力を獲得できていたのかもしれない。でも、今までの私には、そのことに気がつけるだけの知能というものがまるでなかった。だから私は、1942日もの間、狭窄した視界の中で破壊した文法に自己定義の彩色を施し続け、その間にズレはさらに酷くなって、いよいよ周囲との意思疎通が不可能になってしまったのだ。ああ、なんて可哀想な私。馬鹿な私。

そこで、ブログを始めてみることにした。これから少しずつでも、滑らかさを出していければいいな、と思う。