子象の体当たりで粉々になりそうな韓国料理店を見つける。表には、かなり黒ずんだ黄色の看板。そこに、青と赤で文字が色々書いてある。こういう店は、大抵、すごく美味しいかすごく美味しくないかのどちらかだ。
入った途端、太ったハエが出迎えてくれる。やや遅れて店員さんの声。
「お一人様ですか、こちらへ……」
案内された机に置かれているメニューの上を、ハエが呑気に歩いている。私より遥かに人間慣れしているように見える。彼は恐らく、ずっとここに住んでいるのだろう……そう思うと、自分の力を確認したくなる。私もここに生きている。
ハエを叩き潰し、その死骸が貼りついた部分を指差す。
「これください」
見回せば客入りは悪くない。
レモンの香りが強い水道水を飲みながら、換気扇に溜まった埃を眺める。元は白かったであろう壁は、もうすっかり黄ばんでいる。思わず煙草に火をつける。私も壁を黄ばませたい。
隣の席から、寝癖について話す声が聞こえる。見ると、近くの古着屋で買ったものをそのまま着てきたような女の子二人が座っている。飾らない、淀みも弾けも無い会話は、聞こえやすいし忘れやすい。
店員さんが無言で料理を机に置く。赤いスープに浸かった茹で過ぎのインスタント麺と、乾燥したチヂミ。付け合わせのナムルからは、市販の、すこし古くなった胡麻油が香る。 私が目を細めるのをよそに、店内のテレビを見て笑いはじめる店員さん。
料理はお世辞にも美味しいとはいえない。業務スーパーで買い物をした後の私でも、これより美味しく作れそう。
……見回せば客入りは悪くない。
今年で創業20年。何もせず、放っておいたら黄ばんだ壁、溜まった埃。どれもが変わらず変化し続けながら、一切の驚きを演出しない。ここには、新しさもなければ古さもない。躍進もなければ停滞もない。
それでもここには何かがある。それがシステムを動かしている。私の心を掴んで離さない、何か。私には見ることも触れることもできない、何か。この場所に人の繋がりを維持して文化をつくり出している、何か。その正体は、なんだろう……。
隣の席でしきりに寝癖の話をしていた女の子二人が席を立つ。
「ありがとうございます。お会計2460円です……あれ、お客さん100円玉1枚多いですよ……はい、2460円……いや、違った、2560円でしたね、お客さんがあってます」
あぁ……
ひっそりと、音を立てて溶けていく、私のコップに残った氷。
そうか……
机に視線を落とす。メニューにはりついたハエの死骸と目があう。死骸が突然叫びだす。
「お前はここにいてはいけない!お前はここにいてはいけない!お前はここにいては……」
わかってる、私も既に気づいてる。だから黙って、お願いだから。……だまれ、黙れ、黙りやがれ。五月蠅い黙れよ糞虫が。
煙草の火をハエの死骸に何度も押し付ける。どうしてこんなに不器用なんだろう。私はここにいてはいけない、その通りだ。足早に会計をすませ、逃げるように店を出る。私が再びここに来るのはいつだろう。さっきまで私が煙草を挟んでいた左手の人差し指と中指、ここに染み付いた匂いが消えてくれるのは、一体いつだろう。
ここにはまた来たいし、指の匂いは消えてほしい。だけど多分、ここにはもう二度と来ない。指の匂いは一生消えない。