ひび割れ女子高生

女子校で凝固し粉砕され霧散しかけています

ちらばり

暇だった。だから、スーパーに行って炭酸水を買って飲んだ。乾いた味がした。

それでもまだ暇だった。だから、家でいくつか映画を見た。内容は殆ど忘れた。腐った親の死体に化粧をする子どもの映像が良かった。他のもまあ良かった気はする。

映画を見ていたら暇になった。だから、サイゼリヤに行った。なにか食べた気はするけれど、なにを食べたか思い出せない。店員の顔も記憶にない。塩っぽい味だけ覚えている。

カラオケに行った。パバロッティの真似でもして遊ぼうと思った。上手くできなかったから、意地になってずっとやっていたら、店員に追い出された。

歌を作って歌いながら川縁を歩いた。素揚げにされる蝉の歌。地下鉄の駅を走る鼠の歌。そういえば、油そばにチーズをかけるとピザみたいな味がする。

今日は1日中、朝のニュースみたいだった。雑多な断片が、私に干渉せず素通りしていく。たぶん、破れた網で魚を掬い続けているんだろう。



旧友

 

10年ぶりの友人に会った。私が「毎日がつらい」と溢すと、焼肉を奢ってくれることになった。今後は積極的に毎日のつらさを周囲に主張していこうと思った。

距離が近すぎた人間に久々に会うと、何を話していいかわからなくなる。これは私の会話能力の低さのせい……だけではない、と思う。以前は、彼女と私は共に似た経験の中にいたお陰で、経験直接の叙述は必要なく、専ら、感覚の分割と再統合に集中していた。そうやって繋がっていた。でも今はそうはいかない。彼女が身につけている、着慣れた風のワンピース。足に馴染んだ靴。まるでいつもそうしているかのような、髪を搔き上げる仕草。彼女の融和する世界全てが、最早私にとって新しい。

こういうとき、焼肉はいい。肉を網に並べる作業と、肉が焼けていくパチパチという音は、開いた距離を埋めていく。額に汗が滲む頃には、訥々と会話が始まる。

彼女は今、レジャー施設で労働をしているといった。元は教員になるつもりで大学に行ったけれど、教員になる前に他の労働もしておくべきだと考えてのことらしい。殊勝なことだ。その彼女が、私に対して頻りに、教員になるようにと薦めてきた。教祖になることなら何度か考えたことがある、と返したら、真面目に考えてるんだから、とムッとされた。私だって真面目に教祖という可能性を考えていたのだけれど、このことは結局理解されなかった。

 

店を出た後は、しばらく歩いてから、彼女と別れた。私に背を向けた彼女の足音はやけに大きく響いたけれど、その音ももう消えた。硝子張りの夜、8月にしては嘘みたいに冷たい風が身体を撫でる。この風の中では、さっきまで彼女と一緒にいたことすらも嘘のように思えてくる。

 

病院暮らし

今日も一日、血を抜かれて観察される。意外にも時が経つのは早く、明日には前半の検査がひと通り終わって一時帰宅だ。そう思うと途端に、いま身の回りにあるなにかに価値を認めたくなる。そこで、同室の人達とコミュニケーションをとってみる。

 

「もうすぐご飯の時間ですね」

「……あぁ、やっとスよ、つか、飯足りなくないスか?もーぅ腹減って仕方なくて。……でも、あまり美味しくないんすよね」

「そうですね。しかも、前半5日と後半5日は同じメニューらしいですよ、嫌になってしまいますね」

「マジすか、最悪。水しか飲めないし、風呂には浸かれないし……もうやってられっか、って感じスね……」

 

初対面との相手とのコミュニケーションではまず共感と同意から。誰が設けたわけでもないその規則が、突如として現れる。そしてなぜか皆が律儀にその規則を守っているせいで、話は自然と暗い方向に流れる。皆の顔に形を変えず張り付き続ける愛想笑いは、発せられる言葉が本心でないことを語る。完全な虚構のコミュニケーション。教養と良識、もしくは野心を備えた人間なら、ここから全力で脳に血を回してウィットに富んだ返しで突破口を穿とう、なんて目論むのだろう。でも、私にはそんなものは無い。周りの皆にも無い。ただ、あれはあまりにも無計画なコミュニケーションの開始だった、そのことを延々と証明していくかのように、空虚な領域の言語化で、空虚な時を埋めていく。しかしそれも悪くない、その空気がある。私たち皆が、喪失が常に纏う虚飾に、許容されたがっている。

見えない場所

労働。私の左腕にチューブが刺さっている。1時間おきに、看護師がそこから血を採る。

「6番さん、15秒前……3、2、1お願いします」

私が意識していないうちに勝手に作られた血は、私が意識していないうちに誰かに採られて、私が意識していないうちにどこかで検査を受ける。それでお金になる。私が意識して行う労働は、太陽が出ているときに眠らないこと、カフェインを摂取しないこと、血を採られるときに腕を出すこと、看護師が30秒数えるのを聞いて水を飲むこと、このくらい。これだけ意識して10日間過ごせば、真っ当な人間が10日間朝から晩まで働いた分のお金が貰えるのだから、悪くない。一昨日までの日々と比較して、労働の大幅な外部化に成功している。

私の労働は、私の知らないところで、勝手に行われる。ならば、私が対価を貰い忘れている労働もありそうだ、きっちり徴収しておかないといけない。あなたが採血できる理由?私の骨髄が血を作っているからです。私自身、今まで意識したことはなかったけれど、どうやら私のおかげみたいですよ。今、クーラーからの涼風があなたの頬を撫でましたね、実はそれも私の骨髄が血を作っているおかげなんです、ええ、はい。あら、そっちではUSBメモリがうまく刺さったんですか、おめでとう、私の骨髄のおかげですね。うれしさの理由、今日あなたが笑顔になった理由、たとえ笑顔にならなくてもなんだかいいなと感じたその全ての理由は、私の骨髄の造血作用にあります。だからみなさん、私にお金を払ってくださいね。

労働に限らず、面倒なことはどんどん外部化していこう。食べるとか、寝るとか、考えるとか、生きるとか、死ぬとか。そういうことも全部全部、私の意識の外で勝手にやればいい。私はただ上澄みだけ貰う、それがいい。

 

内側の日

このところ労働続きでポエムが足りない。だからサティの詩集を読もうとした。だけどうまく読めなかった。代わりに他の本をいくつか開いてみたけれど、相変わらず言葉が入ってこない。でも、読んだことのある本なら、過去にその本を読んだ時に形成したイメージを脳から引き出すことさえできれば、書かれている内容がなんとなくわかった。本を読んでいるというか、思い出しているだけだけど。たまにこうなる。頭の前の方が圧迫されたような感じになって、新しい文章が読めなくなる。

仕方がないから、ベッドに転がって天井を眺める。敢えて焦点は合わせない。目の端、風で揺れるノートの角。シャンプーの匂い。換気扇の音。拍動。呼吸。耳鳴り。体はベットを突き抜けて下に落ちて消える。注意力を削ぎ切って、漸く辿り着く風景。忘れかけていた色々が、頭に浮かんだり消えたりする。

 

小学生の頃、電卓で0に1を足し続けて遊んだことを思い出した。百くらいまでは楽しい。千もまだ頑張れる。1万、そろそろ辞めたい。もう全く楽しくないし1年は3千万秒しかない、でもなぜか辞められない。

 

いつか読んだ短編を思い出した。タイトルは思い出せない。少年がガスタンクの梯子を登る話。少年は、少女のハンカチをガスタンクのてっぺんに括り付けると約束する。ところが、少年が梯子を登っている途中で、少女は登り始めの部分の梯子を外して何処かへ行ってしまう。それでもと意地になってひたすら梯子を登った少年は、やがて、上に続く梯子も途中で切れていることに気がつく。それで終わり。

 

どうして私は数々の記憶の中からこの2つを引き摺り出したんだろう。多分、わからないままのほうがいい。

鏡の中と外

鏡に映る自分を観察していると、安心する。別に、私が特別美人だからとか、そういう訳じゃない。ただ、鏡の前で色々な表情を作って、鏡の中の自分が同じように動くことを確認していると、安心する。

鏡を見ながら化粧をしていると、鏡の中の自分の顔が、他人の顔のように見えてくる。少し不安になる。だけど、その他人は、やっぱり自分と同じように動く。そして私は安心する。鏡の向こうの彼女は、私のことを全部知っている。彼女の前では、嘘も誤魔化しもいらない。

いつも、自分の隣に彼女を連れていたい。

家を出る時間を告げる音がいよいよ大きく鳴り響き、無視できなくなる。この音を聞いていると、私は少しずつ奪われる。鏡を見ても、彼女の姿はもう見えない。さっきまで部屋に散らばっていたアルミ缶も、今はもう見えない。たかが1時間1200円の、連続した微弱で雑多な刺激。それが私を奪い去っていく。

 

 

 

隙間

夕食のとき、自分の将来について両親と話した。「あなた達が稼いだお金で生きていく、お金がなくなったら自殺する」とは言えず、適当な大学に行って適当なところに就職して社会人3年目くらいにそこそこの男と結婚する、なんていう、頭を一回転すらさせていないようなありきたり未来計画を話してしまった。嘘だとバレている、それをわかっていて嘘をつく。子どもの頃からの悪い癖。

多分、未来のことについてはあまり考えないほうがいい。私は、未来について考えている時は必ず、過去について考えている。考えるときはいつだって、それまでに蓄えた手持ちの言葉を組み合わせているだけで、自分でそれらの言葉に与えているイメージを変化させることをしない。未来の私が違う言葉の世界にいることを忘れている。だから私は、未来について考えることができない。私は、言葉を混乱を催す方法で使ってしまっているのだ。「未来について考える」という表現に対応するものは、そもそも存在しなくて、いちばん近いのは「いま」「ここ」への集中くらい、そんな気がする。過去についての考えごとを未来についてのものだと思い込む、そんな風にしてつくられた、私と世界との間の小さな隙間は、私が成長していく方向を僅かに捻じ曲げて、長い時間が経ったいつか、私を根元から倒してしまう、そんな気がする。